介護休業を終えて…
先月、一ヶ月の介護休業を取った。
仕事、母、子供、家の事でいっぱいいっぱいになり、漠然とだが働きながら介護できる環境作りを目的に。
まずは整理から始めた。
足の踏み場がないゴミ屋敷という訳ではなかったので、それ程でも…と思っていたが、片付け始めると認知症の母が一人で暮らすには多すぎるモノが溢れていた。
それでも無下には捨てられないので「あ、これいいねちょうだーい」と伺い、持ち帰り処分した。
もう呑まない薬もたくさんあったが、急になくなれば心配するので、キレイな状態の物を飾りのように引き出しに残して他は処分した。
できるだけ本人が気付かないように身軽にしていった。
捨てた物の量は覚えてないけど、ゴミ処分場の係員に「おかあさん大丈夫かい」と覚えられた(笑
そこから整頓を始めた、本来お片づけというのは物を元の場所に戻すだけの作業なので置き場所さえ決まっていれば、簡単にできる事。
それが置き場も定まらないまま物が増え続け、片付けが困難になる。
母の場合、それ以前に、置き場所を覚える事ができないので物が行方不明になる。
そこで、物を置ける場所を減らした、方々にあった棚を大きめの棚ひとつにまとめ、テレビ台と2つだけにした。
それと、貴重品を入れている箱を盗られる不安から隠して忘れてしまうので移動出来ないように棚にボルトで固定した。
その他、私が不在の間に利用する介護サービス関連の物を玄関の棚に集めて鍵をかけた。
流石に鍵のある棚は母も気にしたが「子供が触ると危ない物が入ってるからお願い」と尋ねられる度に答えた。
なくしたら困る保険証はカラーコピーを預けた、医療機関でわかってもらえるように「COPY」と記載して。
通帳やカードに印鑑は何度も銀行に通ってるうちに母も返してと言わなくなった。
だけど銀行に通った理由は殆どがこちらの都合だった。
20年以上使ってるキャッシュカードは今後、カードが壊れた時に認知症が進んでいたら再発行手続きに難儀する恐れがあるので新調した。
印鑑も既に欠けていたので同じ理由で新品に取替えた。
口座も最低限の数にした、本人の意思確認ができないと困るような口座は全て普通預金に移した。
部屋と財産をいじられてばかりでは母もストレスを感じるので、底が抜けたソファーを新調したり、銀行の帰りは必ずカラオケに付き合い、抜かりなく機嫌もとった(笑
認知症になった当初は、いたずらに環境を変えると悪化するという事を懸念して控えたが、今回は片づけさせてもらった。
その結果、片付ける過程で母の物の状況が把握できるようになった、毎回時間を割いていた、もの探しも楽になる。
そして、私以外の誰でも入りやすい環境になった、これは介護の負担を分担できる事につながると思う。
環境が整い、私自信も状況が以前よりも見えてきた、
母はまだ認知症の初期で顕著な中核症状は物忘れ。
混乱を招いていたのはBPSDという周囲との関わりの中で起こる症状、中でも物取られ妄想が強かった。
今回片付いた事で物を失くす事が減れば軽減できるかもしれない。
私自身に母はまだ一人でやっていけるという自信もついた。
今回、介護休業を取れた事はとても大きかった、今までの法律では93日をいっぺんにしか取れなかったが、今年から3回に分割できるようになった。
そのウチの一回を今回消化した。
まとまった休みを取る前は子供を見ながらの生活だったので、土曜日の数時間しか時間をさけなかったが、今回は多くの事ができた。
もしも、この休みがなかったら、指を加えて症状が進む事を眺め、最後の最後に老人ホームへ入居する為だけにしか休みが使えなかったと思う。
小規模な職場で人が足りず大変なのに、融通を利かせてくれたと思う、思い切った判断をしてくれた事をありがたく思った。
そして、あのまま時間に余裕がなければ、暑くなり放置した生ゴミにハエが沢山湧いた事にも、冷静に対応できなかったと思う。
今日、母の帰省した時の写真をアルバムにして届けた、とても嬉しそうだった。
長らくの間、やりたかった事がようやく片付いた。
この8ヶ月、水面を照らす日差しは見えるのに、水面は遠く、いつまでも水の中で苦しくしてる気分だった。
早く要介護3にでもなって老人ホームに入れられないかと思った事もあった。
だけど、今はこの環境で少しでも長く母が一人きままに元気に暮らせたらいいと思う。